国内医療救護部の紹介
ごあいさつ
国内医療救護部長
諸江 雄太(もろえ ゆうた)
国内医療救護部は、医師、看護師、事務職員から構成され、2009(平成21)年に発足し、2015(平成27)年に現在の体制となりました。自然災害や人為的災害も含め、国内で発生するさまざまな災害に対応する部門です。1886(明治19)年に設立された博愛社病院(のちの日本赤十字社病院、現在の当センター)の時代から今日に至るまで、当センターの救護の歴史は、戦時・平時の災害救護と共に歩んでまいりました。その歴史的経緯から、日本赤十字社はジュネーブ諸条約、赤十字・赤新月国際会議の決議を拠りどころとする日本赤十字社法ならびに日本赤十字社定款により、災害救護も『業務』と位置づけられています。平時からの備えも、有事の際の災害救護も、国内医療救護部の大切な業務、すべては被災者のために…日本赤十字社のスローガンは「人間を救うのは、人間だ。」です。
国内医療救護部は被災者、支援者への支援をおこなうために、病院職員、関連施設のみなさま、地域医師会や住民のみなさま、国やその他行政機関と連携協働して活動してまいります。なにとぞご理解、ご支援のほどをお願い申し上げます。
世界初、平時の災害救護
当センターの災害救護は、1888年(明治21年)7月、福島県の磐梯山噴火に際し、当時の皇后陛下(昭憲皇太后陛下)の思し召しを受け、医師3名を猪苗代へ急派したのが始まりです。当センターの前身である博愛社病院が設立されて1年半後のことでした。日本を含め世界の赤十字の救護活動は戦地における傷病者の手当(戦時救護)を目的としていましたが、この磐梯山噴火災害の救護は、世界の赤十字で初めて『平時の災害に対する救護活動』を実践した先駆的事例として、国際的な注目を集めました。これを記念して、裏磐梯・五色沼のほとりに『日本赤十字社平時災害救護発祥の地』の碑が建立されています。その後も、エルトゥールル号遭難事件(1890・明治23年)、濃尾地震(1891・明治24年)、三陸大津波(1896・明治29年)、関東大震災(1923・大正12年)など、近代日本史に刻まれた数々の災害は、まさに当センターの救護の歴史でもあるのです。群馬県・御巣鷹山の日航機墜落事故(1985・昭和60年)では、一部のみの遺体にさらし布などを用いて五体がそろった形に整えた上で遺族にお返しする『整体』という技法を編み出すなど、赤十字の精神を余すところなく体現した救護活動が高く評価されました。

【関連記事】
『日本赤十字社平時災害救護発祥の地』の碑(裏磐梯観光協会ホームページ 外部リンク)
日本・トルコ友好の証し、約130年前の遭難救護を今に伝える(日本赤十字社公式ホームページ『赤十字 名所紀行 vol.6』 外部リンク)
『關東大震大火實況』より『日本赤十字社病院における救護活動』(関東大震災映像デジタルアーカイブ 外部リンク)
すべては被災者のために
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災を機に、日赤の救護活動は大きく幅を広げ、超急性期の医療救護を担うDMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)の養成や災害時の『こころのケア』などが始まりました。当センターは日赤本社直轄の『本社救護班』を擁する医療施設として、超急性期から亜急性期・慢性期まで、災害のあらゆる段階に対応できる救護要員の育成とスキルアップに積極的に取り組んでいます。また国内の災害救護を専門業務とする『国内医療救護部』を全国で唯一設置している赤十字病院として、赤十字の多様な救護活動をリードしていきます。私たちは赤十字の職員として一人ひとりが災害対応を特別なことと考えず、日常業務の延長線上として当たり前に行うことができる病院を目指しています。120年以上に渡り培われてきた救護の経験やノウハウを後進に引き継ぎ、たゆみない努力を続けていくことで、災害による『防ぎ得た死(Preventable Trauma Death)』を限りなくゼロに近づけたいと願っています。
市民を守る、子供を守る、職員を守る
2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災では、災害発生の100分後にはDMATを福島市へ、さらにその1時間後には救護班要員14名を含むdERU(domestic Emergency Response Unit:国内型緊急対応ユニット)を石巻市へ派遣したのを皮切りに、救護班、こころのケア要員、病院支援要員など、延べ175名の職員を派遣しました。「市民を守る、子どもを守る、職員を守る」という基本理念の下、遠い被災地だけでなく、東京に避難された方々や当センターに入院していた方々にも安心と安全を提供しました。
国内医療救護部の仕事
国内医療救護部の業務は多岐にわたります。平時の業務と災害時の業務を紹介します。
◆平時◆
●危機管理体制の強化
自院の災害に対するレジリエンス(回復力)を高めるために、様々な体制作りやそれに伴う研修などを開催しています。院内で発生する事象が病院運営に支障が出ないよう早期に対処するための危機管理相談窓口(24時間)を開設、情報収集や事態収拾を図るための緊急参集チームを設置しました。インフラ設備の強化、BCPや各種マニュアルの作成と改定なども手がけています。
●資器材の調達管理
本社所有の救護倉庫が日本赤十字看護大学地下に設置されており、救護班の資器材や個人装備、災害支援物資の管理、災害派遣のための車輌整備、dERUなどの災害医療用テントの点検管理を行っています。
●人材育成・派遣
日赤救護班、日赤災害医療コーディネートチーム、日本DMAT、東京DMATなどの育成・管理ならび派遣調整業務などを行っています。救護員やこころのケア要員の育成、研修会等も盛んに行われており、毎年、院内の各部署から職員を招集し病院災害対策本部要員(院内ロジスティクスチーム)も育成しています。平時では、全国赤十字大会、一般参賀(新年、天皇誕生日)、硫黄島慰霊巡拝など公的な行事の応急時対応のため救護員を派遣しています。
【2025(令和7)年7月1日現在】
2025年度日赤救護班要員 96名(医師12、看護職48、薬剤師12、事務管理要員24)
日赤災害医療コーディネートチーム 19名(医師5、看護職6、調整員8)
日赤こころのケア要員 376名
日本DMAT 26名(医師10、看護師11、調整員5)
東京DMAT 46名(医師14、看護師24、調整員8)
●地域貢献
赤十字関連施設や地域行政が主催する様々な防災イベントなどに積極的に参加しています。
【主な参加イベント】
もしもフェス渋谷(外部リンク)
渋谷防災キャラバン(外部リンク)
◆災害時◆
●災害対応要員の派遣
発災直後から本社等と調整し積極的に日赤救護班を派遣しています。必要に応じ、日赤災害医療コーディネートチームやこころのケア要員、日赤本社と内閣府との協定に基づいた内閣府調査チームへの医師なども派遣しています。
【関連記事】
内閣府調査チームへの職員派遣に係る協定を締結(日本赤十字社公式ホームページ)
派遣の前後では各方面からの情報などに基づき、資器材や個人装備の追加調達など後方支援に力を入れています。宿泊地や移動手段の確保、経費精算、派遣中の勤務管理をはじめ自治体に対する費用支弁書類の作成提出なども行います。また活動に関する情報発信、関係各所への報告なども国内救護部の重要な仕事です。派遣後の個人装備や資器材の点検、補充、見直しなど業務は続きます。
これらの多岐に渡る業務は国内医療救護部だけで完結するわけではありません。平時から災害時に至るまで、院内外の様々な方々のご理解とご支援を得ながら活動しています。すべては被災者のために…今後とも多くの皆様とともに国内医療救護部は活動してまいります。