私たちの救援ストーリー
聴診。多くの命を救うために(レバノン・中東医療支援事業)
看護部 宇賀本さおり
看護師が、患者さんに聴診器を当てること。それは、患者さんのお世話をする私たちが身体の異常をいち早くキャッチし、適切な看護や治療に繋げる大切な身体評価方法の一つです。日本の病院では当たり前に行われていることですが、私が勤務したパレスチナ難民キャンプ内の病院において聴診は「医師の仕事」とされ、看護師が実践する習慣がありませんでした。
聴診はさらにより良い看護を提供するために欠かすことのできないものであり、支援事業活動の講義のなかで特に重点的にお伝えしました。看護師が聴診を行う事の理解の共有、基本的手技の練習を経て、実際の臨床現場において実践を促すことにより、「やってみよう」というメッセージは伝わったと思います。
数日後、産婦人科で働くスタッフから声をかけられました。「生まれた直後の赤ちゃんの呼吸の様子がおかしかったので音を聴いたら、講義で習った異常音が聞こえた。すぐに医師に報告できたよ。ありがとう」。この手技の実践が定着し、技術が向上すれば、より多くの命が救われるきっかけになるかもしれない。そのような希望を持つことができた瞬間でした。
現地の人たちの思いや声を聴く(バングラデシュ南部避難民保健医療支援)
看護部 山本美紗
「目の前で繰り広げられた家族に対する暴力。ここにはいられないと思い、家族と一緒に必死の思いで山を登り、川を下って逃げてきた。」涙を浮かべながら語ったのはバングラデシュの難民キャンプで暮らしている避難民です。2017年8月ミャンマーから暴力行為を逃れるため70万人以上の避難民が流入し、先行きが見えない状況のなか劣悪な環境で生活を余儀なくされています。私はそこに診療所の保健要員として派遣されました。外からきた私を温かく迎え入れてくれた避難民ボランティアのスタッフは、「ごはんはきちんと食べられているか。」と私のことを気にかけてくれました。彼らは自らの生活が大変な中でも、さらに支援が必要な人たちのためにという熱い思いを持ち診療所で活動しています。そんな彼らの思いに寄り添い、「先を見据えた支援」や「本当に必要なニーズ」とは何か、一緒に考えて活動することを大切にしました。
私たちが交換したこと(パレスチナ医療支援事業・ガザ地区)
国際医療救援部 中司峰生
ガザ地区におけるパレスチナ赤新月社のアルクッヅ病院にて現地の医療者のための診療手順書の作成支援事業に参加してきました。
この写真は筆者(前列左から3人目)の送別会と病院内医療者教育委員会を兼ねた会での集合写真です。私が手にしているのはパレスチナ刺繍による記念品です。皆さんが手にしている冊子は、私達日赤の支援により作成している診療手順書の草案冊子です。
今回の私達日赤との支援事業は物資や資金を提供するものではなく、現地の医療従事者にノウハウを提供し、自発的なキャパシティビルディングを期待するものです。このため、「いただいた記念品に対して私達がお渡しできるのはこの診療手順書であり、これらが皆さんと私達との協力の成果物です」、というメッセージをお伝えしてきました。
この写真が撮影された時点では草案のままであった「腹痛の診療手順」ですが、コロナ禍のため私達日赤要員がガザを離れたのち、現地の救急外来部長が中心となって完成させ、院内での生涯教育委員会で承認まで得られたと便りが届きました。
長い紛争や封鎖の歴史のなかで医療の質を改善しようとする機会が得難い現地の医療者にとって決して容易な作業ではないものの、私達がお手伝いしている支援内容が現地の皆さんにとっても大切なものとして受け継いでいただいたことを実感しました。
あるボランティアの話(フィリピン保健医療支援事業)
看護部 冨澤真紀
Aさんはある日、ボランティアをやめたいと言い出しました。私たちは、彼女がなぜ突然そう言い出したのか、じっくりと話を聞くことにしました。最初は、「ボランティア活動が面倒くさいから」という理由を言っていた彼女は「私は高校も卒業していないし、みんなが私の話をちゃんと聞いてくれないと思う」と明かしました。フィリピンの文化では他の多くの国同様、学歴、肩書がいろいろな場面で強く影響します。そのため、人前でメッセージを伝える役割を担うには分不相応だというのです。
彼女の思いを受け入れてから、私は、「ねえ、Aさん、私をみてよ。わたしさ、カラヌヤ語(現地語)も話せないし、タガログ語(国語)だって上手にできないんだよ。誰にでも弱みと強みはある。あなたは、カラヌヤの言葉を話すし、なによりも地域のことを本当によく知っている。こういう山の中で病気を予防するのがとても大切な中、あなたが地域の人に健康のことを伝えるというのは『この地域をあなたが守っている』ということだと思うよ」と伝えました。
彼女の表情は次第に明るくなり、その後も活動に参加してくれました。しかも、チームの中で一番堂々と保健教育をすることができたのです。彼女にとって、誰にでも弱みと強みがあることを実感できたこと、そして、赤十字のボランティアとして地域を守っていると思えたことで、学歴という彼女のコンプレックスを乗り越えて活動に前向きになってくれたのではないかと思います。
私たちの事業に関わるボランティアの多くは女性です。子育てをしながら、農業をし、そして赤十字活動も行う。それを支え、モチベーションを維持していくためには、ボランティアさんがそれぞれに認められているという居心地のよさをつくることが大切なのだと実感した場面でした
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私服姿の看護師たち(インドネシア・スラウェシ島地震救援)
看護部 看護師長 兼 国際医療救援部 苫米地則子
2018年9月28日、インドネシア中部スラウェシ島を震源とするマグニチュード7.5の地震が起きました。そのあとも続いた余震で、建物の崩落、地滑り、液状化に加え、数メートルの津波が発生。これまで死者2113人、避難者は22万人以上にのぼりました(2018年10月20日現在 インドネシア国家防災庁発表)。
日本赤十字社からは、インドネシア赤十字社が行う仮設診療所展開のサポートや、緊急保健活動の技術指導のため、海外救援に経験豊富な医師・看護師を医療保健アドバイザーとして津波被害を受けたパルなどに派遣しました。
精力的に活動している現地の看護師たちは私服姿でした。制服を着ないのか?と尋ねたら「家が崩壊していてナース服も取り出せない。家のことは全然手をつけられていないの。けれど、今頑張らなくて、いつ頑張るの」と。支援している彼女たちも、被災者の一人でした。
また、インドネシアならではの事情として、伝統医療に対する民間信仰があげられます。民家を巡回しながら目の当たりにしたのは、負傷した箇所をなでる、呪文を唱える、といった行為で傷口が治癒するという信念を持つ人々の存在。伝統医療を信じる人は少数派ではなく、手術が必要な状態なのに放置され手遅れになりそうなケースも見受けられました。家を訪ねて被災者の方々の様子を実際に自分の目で確かめる、巡回の重要性を改めて実感しました。
(抜粋 赤十字ニュース№943)