沿革・歴史

日本赤十字社医療センターの歴史

博愛社病院設立までの動き

博愛社創立当時の救護員は男性のみであり、1877年(明治10年)2月15日に起こった西南戦争でも男性のみが救護活動を行っておりました。

1880年(明治13年)5月24日に開かれた博愛社社員総会に出席した社員のヘンリー(ハインリッヒ)・フォン・シーボルトは、ヨーロッパで行われている赤十字活動では女性社員が加入しているほか、救護活動の面でも女性が適していると指摘しました。また、4年後の1884年(明治17年)に開催した社員総会でも、内務省御用掛の柴田承桂が「欧州赤十字社概況」と題して、前年にベルリンで開かれた衛生および救難法に関する博覧会を視察してきた模様を報告しました。
さらに、同年2月に渡欧した橋本綱常(はしもと つなつね)陸軍軍医総監は、ジュネーブで開催した第3回赤十字・赤新月国際会議(赤十字国際会議といわれていた)にオブザーバーとして出席、このとき決議事項に女性救護員の教育が取り上げられていたことから、橋本は帰国後、救護員養成機関としての病院設立を提唱しました。

1885年(明治18年)に開かれた社員総会では、博愛社の総長であった小松宮彰仁(あきひと)親王から、外科病院を設けて「医師、看護師の養成」を行っていく方針が示され、さらに橋本綱常が社員の資格で「病院設立建議書」を提出。これに基づいて翌年の5月14日に開催した臨時議員会で、博愛社の病院設立が正式に決議されたのです。

最初の日本赤十字社病院(博愛社病院)

日本赤十字社の最初の病院は、1886年(明治19年)に博愛社病院として誕生しました。病院設立の提唱者は当時、陸軍軍医総監で初代院長になった橋本綱常(はしもと つなつね)で、同年8月に陸軍から東京・麹町区飯田町4丁目(現在の千代田区飯田町貨物駅付近)の借りた土地に博愛社の本社社屋と病院建物を着工、11月17日に皇后陛下が出席されて開院式を行いました。
1887年(明治20年)に博愛社から日本赤十字社に社名変更したのに伴い、日本赤十字社病院と改称、1891年(明治24年)に飯田町4丁目から現在地に移転しました。その後、1941年(昭和16年)に日本赤十字社中央病院と改称、1972年(昭和47年)11月には日本赤十字社産院と統合して、日本赤十字社医療センターと改称し、現在に至っております。

沿革

日本赤十字社中央病院

1886年(明治19年)11月 博愛社病院開設(麹町区飯田町)
1887年(明治20年)5月 日本赤十字社病院と改称
1890年(明治23年)4月 看護婦生徒養成開始
1891年(明治24年)5月 現在地(渋谷区広尾)に病院新築移転
1941年(昭和16年)1月 日本赤十字社中央病院と改称

日本赤十字社中央病院病棟

日本赤十字社産院

1922年(大正11年)5月 日本赤十字社産院を開設、附属産婆養成所併設
1948年(昭和23年)4月 附属産婆養成所を日本赤十字社助産婦学校(現・日本赤十字社助産師学校)と改称
1948年(昭和23年)7月 附属乳児院を併設

日本赤十字社医療センター

1972年(昭和47年)11月 日本赤十字社産院と日本赤十字社中央病院とを統合、日本赤十字社医療センターとなる
1975年(昭和50年)9月 旧病院建屋新築落成(1,011床)
2010年(平成22年)1月 旧病院建屋の老朽化に伴い、敷地内に新たに建造した現建屋(708床)へ移転